『当たり前のこと』『やって当然』
こんな言葉が“当たり前”に通る世の中ですが、そもそも当たり前って誰が決めてるんですかね。民主主義な多数決だとしても、少数派が悪い風潮があっていいわけがないと思います。特に日本は、海外に比べて出る杭を打つ風習がある分、多数についていくことを教育されてますよね。でも今は、多数についていって良いことばかりじゃない。そろそろ“当たり前”に縛られることは、やめた方がよさそうです。
自由は不自由の中にある
よく聞くフレーズですが、「不自由があるから自由がある」のだと思います。すべてが自由だったら、それを自由とは思わないですからね。逆に「非常識があるから常識がある」のであって、すべてが常識なら区別する必要はないですから。でもこの“常識”を疑ったことって、皆さんありますか?
例えば、「今まで傷口は消毒するのが常識」だったのが、「消毒せず洗い流すだけ」が常識になりました。このように常識なんて、その場その場で変わる「曖昧」なもの。それに従う必要なんて本当はないんです。
「どんな常識でも従う必要がない」わけではない
このように“非常識”な発言をすると、「じゃあ何してもいいの?」と反論されるでしょう。極端に0か1かを求めること自体が、センスがないですね。
人を傷つける、迷惑をかけることは、“常識”の前に道徳上やるべきことでない!さらに言えば、それら罪になることは「すべての人が守るべき」法律に違反しますので、その辺はご理解いただければ幸いです。
「罪に反しなければ何をしてもいい」わけがない
次に来る反論が、このようなことになるでしょう。それらは社会生活を送るうえで守るべき “ルール”であって、大多数が決める常識ではありません。そのルールは、多くの価値観の違った人が共存するために欠かせないベースです。ですので常識としてやってはならないではなく、ルール上してはならないことなのです。
男性は一生仕事という常識を崩すべきだ
女性の社会進出はとても進んでおり、女性管理職や女性議員など多く在籍しています。要するに、「女性だから」といった障壁は、取り外されつつあるわけです。そうなるともう一つ邪魔な障壁があるのを、みなさんお分かりですか?「男性は生涯仕事に専念する」、という常識です。
なんで男性は仕事をしなくてはいけないのでしょう。夫婦が互いに養う義務なので、男性が家事・育児でもいいのでないですか?なのにいまだ“常識”として、男性が家入ることを社会が拒絶しているのです。
男性が育児に参加する 喜ばしくもやや見下されてる
少しずつ家事・育児ができる男性、イクメンやイクパパが登場しています。でも、イクメンやイクパパと言われている間はダメです。だって「育児が当たり前」という概念に置き換わらず、今だ“常識”になっていないからです。「育児に参加してすごいね」という言葉を聞いて、うれしがっている間はダメでしょうね。
男女どちらでも仕事・育児・家事ができる教育を
男女平等なんて大それたことは言いませんが、せめてどちらでも同じようにできるような教育が必要。「男の子だから」「女の子だから」という、男性・女性教育(アイデンティティ教育)も大事ですが、「男の子だから仕事だけ」「女の子だから家のことをやる」はやめましょう。男女の前に人として、仕事も育児も家事もできていた方がいいのですから。
女性が育児・家事をする“当たり前”の真実に気づいて
女性が育児・家事を“当たり前”かのごとくやっていたのは、当たり前なんかじゃなく一種の洗脳。社会的洗脳によって、やるべきものと刷り込まれていたのです。男性が仕事だけするということも同様で、両親からも社会からも刷り込まれていたのが真実なのです。
今やっと、社会的刷り込みが解かれようとしており、本来の「家族」が取り戻されつつあります。ですがまだこの刷り込みは根深く、しばらく時間がかかると思います。ぜひ真実に気づかれた方から、率先して取り組まれて行っていただけることを願ってます。私も発信を続けていきたいと思います。
明日は当たり前育児の脱却について、書いていきたいと思います。