同世代のパパやママと話しをする機会が増えたこの頃。
なかなか、考え方の違いは仕方ないこともあるのだが。
このまま平行線では、絶対育児参加は無理だなと納得できました。
きっと、パパの仕事が育児と同列にされている限り本当の育児参加は難しいと。
家族を、育児を選んだのは誰だ
本当にこれに尽きます。
結婚も妊娠・出産も、選んだのはパパとママ。
できちゃった結婚も、行為に及べばできるのは火を見るよりも明らか。
世間体を気にしていたって、最終的な決定はパパとママでしょう。
まずはここの認識が、パパもママも甘い!
多分「家族って何か」、「育児って何か」、「親子って何か」を教えられてこなかったからではないでしょうか。
昔はなんで、教えられなくてもわかっていたんでしょう。
昔は周りに見本がたくさんいた
昭和の時代は、何と言っても三世代家族や近所づきあいが良かった。
子どもを見る大人の数も多く、手本として学ぶことができる大人も多かった。
ですが今は核家族化に加え共働きで、子どもと大人の接する時間が減少。
さらに習い事の時間が多く、「家族とは」や「親子とは」という学びの場も減少。
ドラマやテレビ、ネットで得た真偽不明の知識では、賄うことは難しいでしょう。
そして育った子どももまた同様に、同じ連鎖が続いていくのです。
でも昔から変えるべきことも同様に多い
『なら昔の生活やしつけなどが全て良かったのか』といえば、それは別問題。
体罰や家長制度、問答無用の女性蔑視など問題もたくさんありました。
それら「変えるべき」ことは、是非とも変えていかなければいけません。
だが「変えるべき」ことを変えるということは、ほかに歪みや問題が生じるもの。
変えて生じた歪みへの対応が遅いあまりに、育児や介護のワンオペが増加。
だがそっちには目もくれずに、今までの生活を変えたくない。
結果育児負担・介護負担の増加により、今の種々の問題が・・・。
育児はやって当たり前 仕事はやらなければいけないこと
この違い、パッと見てわかりますか?
家族のことや育児は、「やることが前提条件」なんです。
24時間、365日。パパ・ママは、育児をすることが当たり前※1。
仕事はというと、仕事をして生活に欠かせない「お金」を稼いできます。
そのため仕事をしてお金を得ることは、大切な役割になるでしょう。
でもそれは、24時間のうち9時間が仕事という役割に変わっただけ。
そのほかの時間は、育児をすることが前提なんですよ。
仕事をすることは重労働 育児や家事なんかとは違うんだ
こんな声も聞こえてくるのが、今の現実。
仕事も9時間の業務以外に、残業や学習、対応すべきこともあります。
朝早くから遅くまで、仕事を全うしたからこそ、生活が維持できる家庭もあるでしょう。
ただ、外勤と育児をもし比べるならば、育児が軽作業ということは決してありません。
保育園への送迎・保育園対応・ママ友対応・子供のしつけ・パパの世話 などなど
身体にも心にも、負担がかかる仕事。これを一人でするなんて。
仕事もしながら育児を完璧してほしい ママはそんな風に思ってません
さて、世の中的に「育児参加」「育児参加」って言われてますが。
別に完璧な育児参加なんて求めてません。
うちの嫁からも
「いーの。仕事終わって少し、仕事行く前に少し。家のことや子供のことをやってくれるだけで、こっちは助かるの。育休取って24時間いるなんて、子供が増えて大変。」
育休義務化よりも、家事・育児における教育義務化の方がいいんじゃないかな。
家族だって言葉なくしてコミュニケーションはとれません
自分の親と会話なくして、分かり合えますか?
ましてやまだ数年程度の他人と同居して、分かり合えるわけがありません。
互いを理解し合うために発達した「言葉」を、使わない利はないでしょう。
最近パパとママで、家のことや子供のこと、夫婦のこと、これからのこと。
これらのことを話したのは、いつですか?
年数が経つほどわかった気になり、歳をとるほど融通が効かなくなります。
パパ・ママともに歩み寄って、話し合う習慣をつけましょう。
※1 24時間パパ・ママというは、自分の時間を取るな!とか子どもを預けて遊ぶな!とかという意味ではありません。「仕事をしたら育児は免除」ではないという例えの一つです。